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なんかやる気って

姥捨て山

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姥捨て山



わたしの母親Sというものは、じつに勝手である詩琳

わたしが子供の頃は、子育ては放任主義で、人任せ、
(結婚はお世話になったけれど)
わたしの子供(孫)の子育ては、節目節目にお祝いなどはくれるけれど、平素は、ほとんど知らん顔、
わたしの孫育てのあたりで、老化現象、ぼちぼち認知症。
ここ最近、階段を転げ落ちるかのごとく、どんどん加速度を増している。
「自分S(母親)も、かまって~。来てちょうだい~」

と、文章に書くと、なんだ、まともな母親じゃないの、という印象を受けた。
子供の道をはずさせず、しっかり育てている。
子供側からみると、大なり小なり不満はだれにでもあるものだ。
「ママ、大好き!!」と幼い頃から、老女になってまでも、ママを熱く思い続けている子供は、どれぐらいいる?

そもそも、わたしは、ぜんぜん、「ママ、大好き!!」という、テレビの風邪薬のCMや、洗剤のCMに出てくるような、あんなイメージは皆無。
あれは、イメージを植え付けるために、作られたものだと確信している。

ちゃんと育ててもらって感謝はしているが、足長オジサン的な感覚もある。
衣食住、まともに生活できる環境を与えられ、学費、その他、出してもらい、
ありがたいことである。

と、冷静にアタマを下げているのだが、感情的には、いつもアタマに浮かぶのは、
嫌いな面ばかり。
結婚して、あの嫌いな母親から離れられて、どんなに幸せだったか。
幸せに育ててもらっているのに、嫌いだなんて、母としては割りに合わない。
なぜなんだろう?

性格、行動が嫌いなのだ。(とうぜん、悪い面ばかりではないけれど)
まさにわたしの格好の反面教師となって君臨している。

大人になってからでも、親からの恩恵をなにかと受けているので、あまり大きな顔は出来ない。
そのあたりに、わたしの弱みがある。

誰のおかげで大きくなったと思っている?と仮に親に言われたとして、
「はい、親のおかげです」と当然のごとく何の抵抗もなく答えるのであるが、
母親に対して、ひとつ言えることは、
自立心がないということ。計画性水光槍がない。
「父(母Sの夫)」という大きな盾に守られて、自立心が育たなかったようだ。

親子で助け合うのはよいことだが、もっと自立すべきだ。
子供は親の面倒を見るのは当たり前、と考えている。
当たり前は当たり前だが、面倒の見方にも、いろいろある、ということを母は理解していない。

母は「もっと近くに嫁にやればよかった」と愚痴る。
近いと毎日、朝晩、顔を出して、手助けしたりお茶を飲んだりできるのに。
わたしは、遠くでよかったと思っているのだが。
そんなにホイホイ来れないということをアピールできる遠さである。

子供を手近に置いて、羽ばたかせないつもり?
自分の老後のことまで考えて、子供を嫁に出す親は、どれぐらいいる?

母の田舎の考え方は、子供に教育をつけると、実家の跡目を継がなくなるから、
高度な教育をつけず、手足をもぎ取って、家にしばりつけている。
その結果、ろくでもないことになって、かんじんな家は、もう風前の灯である。
消滅は、秒読み状態。
太陽政策ではなく、北風政策。

跡継ぎ達は、羽ばたいていった、きょうだい達に、置いてきぼりにされたような気がしていることだろう。
自立する能力を身に付け、選択できる自由を与えられると、もう戻ってこない?
能力がなければ、選択できない?

しかし、自分が自立していくことばかり考えていると、
地方の農業をはじめとする産業は、どんどん衰退していく。
辛い仕事は、親も子供に跡を継がせるのをためらって、跡取りが育たない。
限界集落も後をたたない。
ひとりひとりの想いが、多くなってくると、大きな流れとなり、うねりとなる。
が、自分ひとりでは、流れには抗えない。

自分サイド一方の想いに走るばかりが、必ずしもよいとは限らない。
自己チューとの葛藤は、そういう社会問題を内包している。

が、母の考えは、まさしく、それ。
子供は親が自立できなくなったら、親の面倒を見るべき。
わたしも、母の年齢になって何も自分でできなくなると、すべてを人任せにして、
自宅に居たままで、遠方に散っている子ども達に囲まれ、日々、世話をしてほしい???と、そう思うのだろうか。
母が、わたしの世話を人の手を借りてしたように、わたしも、他の人の手を借りてすることに、なんの問題があろうか。
住み慣れた自宅で、遠くに住んでいる娘たちと毎日顔を合わせ、お気に入りの環境のなか、
家族に溢れる温かい愛を注がれ、身近にぬくもりを感じ、
枯れるようにこの世を去っていくのが理想だろうけれど、いまどき、そんな理想は、叶えられない。
(世の中には、親の理想を叶えてあげる、やさしい娘さんや、息子さんもおられるようだが)
もし、わたしが、叶えてあげたとしても、毎日、実家に通うか、住み込んで世話をするなど、
わたしの人生を踏んで叶えることになる。
わたしの人生の後半を母ひとりに捧げ出す気持ちはない。
わたしには、わたしの人生がある。
母以外にも手助けすべき他の家族、メンバーが、たくさん控えている。

母だって、よくよく考えると88歳になったお姑さん(父の母)を引き取ってから、
大勢のスタッフで世話していたではないか。
楽しい老後は、自立している間だけ。
自立しなくなったら、それはもう、自宅であろうと、老人ホームであろううと、精神的には自分で解決するしかない。
哀しくて残酷だが、覚悟を決めるべきだ。

できる範囲なら頑張るが、壊れるほどは頑張らない。
人のために、自分が壊れるのは、たとえ親子であろうが、そこまで負いきれない。
この、わたしの後姿は、こどもたちは、しっかり見ている。
いずれ、自分も同じ道を歩むことだろう。
さっさと、いち早く捨てられるんだろうなあ。
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